「 もしも絵をやってたら、おまえよりうまいと思うぞ。」
父は酒に酔うと、赤ら顔でそう言ってからかってきた。
「俺はなぁ、機関車のナンバーを白ペンキで書いてたんだ。
それをいっぱいの人から褒められでだんだぞ。
んだがら、絵描いでも俺の方が絶対うまい」
負けず嫌いの父は、そう言って何度も頷いた。
そんな事を言われたことは一度や二度ではない。
昭和二十年の終戦間近、父は15歳、
見習いとして福島機関区で手伝いをしていた。
ほとんど力仕事だったらしいが、父にはもう一つ、
白ペンキで機関車のナンバーを書くことが任されていた。
その書いた文字は、D51 488、
通称デゴイチ・ヨンパーパーと呼ばれた蒸気機関車である。
戦争による金属不足で国に没収されたナンバープレート代わりに
直に白ペンキで書くのだ。
「おまえは、本当に番号書くのうめえなぁ」
大人の機関士達に褒められていたらしい。
その事は相当嬉しかったに違いない。父親を小さい頃に亡くして、
大人に褒められたことなどなかったのだから・・・。
そして、それは運命的言葉になった。
終戦後、学校を卒業していろいろと働きながら、
昭和二十六年念願の国鉄に就職。長年の機関助手を経て、
僕の生まれる頃に正式な機関士になるのである。
僕の名前は〝正機〞。それは父の名前〝正義〞の〝正〞と、
〝機関車〞の〝機〞である。
(月刊美術二〇〇九年八月号掲載文章)
〜M氏ノ運転シタ風景ノ記憶 ⑥ より〜